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うつをきっかけに似顔絵師になった男の、みんなを幸せにするための冒険の日々をつづったブログ。 鬱病のことや、イラストのことなど、いろんなことを書くよ。
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高スペックの「普通」たち
往々にして、ドラマや漫画などで「俺の名前は○○。どこに出もいる普通の男だ」とかいうやつは、どう見てもかっこいい見た目してて、幼馴染のかわいい女の子がいたり、授業中居眠りをして、クラスのみんなに笑われたり、なんだかんだでおいしいシチュエーションに恵まれたりと、結局本当に普通の生活している人間からすると、うらやましがられる存在なんですよ。
だって、彼らはフィクションの人間なんだもの。
そしてそれを見ている僕見たいな男は、「僕は普通以下なんだ……」とか言って、必要以上にふさぎ込むんですよ。
そんな童貞時代(普通のやつは青春時代という)を過ごした僕は、長らく「普通」というカテゴリーに悩まされてきました。
「普通」に苦しむ
「普通ってなんなんだ!?」っていうテーマは、中二病初期にかかりがちな、ごく平凡な、でも本人からすると人生を揺るがしかねないと勘違いしている命題ではありますが、僕はなんだかんだで長らくこれに悩んでいました。
それこそ、その昔はマンガ家を目指していて、当時の投稿マンガ界では「普通ではだめだ」と無理やり過剰な設定を盛り込んだりしていました。
それは信号機の妖精の物語だったり、コマ割りがまっとうではないマンガだったりしました。
そういうアイデアを考えつく自分を、「俺普通じゃねー。カッケ―」と自分で自分をほめていた時期があったのです。
しかし、ある時最初の病気の波が来て、僕はマンガが描けなくなってしまいました。
それどころか、何もできなくなってしまったのです。
そして僕は思いました。
「俺って普通だったんだ」
でも、それから何年か後、30代になってみると、マンガも描けず、それといった創作の後もなく、正規雇用の職業にもついたことのない、何も成していない自分がいました。
「普通以下じゃん」って思ったのです。
いやあ、普通に毒されてますね。
「普通」なんて曖昧な価値観に振り回されてたらいけない
普通の基準って、実は曖昧なんですよね。
雑煮が分かりやすいと思うんですけど、自分が食べた雑煮をずっと普通の雑煮だと思って食べてきたと思ったら、日本各地には様々な雑煮があって、中には白みそやあんこもちをいれている雑煮もあるわけです。
地方ごとに作り方があり、そうなったら「普通」なんてないのと同じ。
この世の中の森羅万象も実はそうで、例えばずっと企業でサラリーマンをしてきた佐藤さんがいるとして、もう一人はフリーランスでいろんな仕事をしてきた鈴木さんがいたとしますよね。
この二人にとって「普通の仕事」というのは、佐藤さんにとっては「企業に勤めること」で、鈴木さんにとっては「何でもいいから、人生を楽しくするためにお金を稼ぐこと」と答えるかもしれません。
例えば、異業種交流会などがあって、業種ごとにテーブルを分けると、絶対にテーブルごとで普通の価値観は違うと思うんですよね。
狭い世界で生きているうちは、それで問題ないのかもしれないけど、ふと外に行ってみると、そのちがいにストレスを感じて、苦しむくらいだったら「普通」なんて価値観は、むしろ取っ払ってしまったほうがいいと思うんですよ。
「普通じゃない」という自由の翼
はっきり言うと、「今、これを読んでいる自分を『普通』と思っている人! 普通じゃねーよ!」ってことです。
世間ではこの「普通」に苦しんでいる人がたくさんいるんですよね。
例えば、女性の言う「結婚したい普通の男性」って言うのが、年収が500万以上だったり、「普通の男性の童貞喪失期」が二十歳くらいだったりと、ネットや何かの情報筋で耳に入ってくるたびに、30歳過ぎてて、派遣で働いている彼女いない歴=年齢の童貞男子が「俺は普通じゃない」とへこむんですよ。
そんな世の中でいいのか!って話ですよ。
逆にね、僕なんかはおととし、鬱で会社を辞めて本当に「僕は普通の仕事ができないんだ」と思って、へこみもしましたけど、自由にもなれたって気もしたんですよ。
「好きなことできるなあ」とか「やりたい仕事に本気で臨んでみよう」とか。
「普通」を取っ払ったおかげだと思ってますよ。
今苦しんでいる人がいるなら、「自分は普通の外にいる自由人だ」と、まず無理やりにでも開き直って、朝からビールでも飲んでみなさいって思います。